くわしく知ろう!

今から約5000年前、メソポタミア(現在のイラクのあたり)で人類の発明した文字は、その形が楔(くさび)に似ているので、楔形文字と呼ばれています。 横浜ユーラシア文化館が所蔵する楔形文字粘土板文書は326点、国内最大のコレクションです。そのほとんどは、ウル第3王朝時代(前2100~2000年頃)、プズリシュ・ダガンで製作されたと考えられています。

楔形文字はだれが作ったの?

今から約5000年前、メソポタミア南部に世界最古の文明を築いたシュメール人が楔形文字を発明したといわれていますが、はっきりとわかっていません。

ウル第3王朝とは?

今から約4000年前、メソポタミア南部に成立したシュメール人の統一王朝(前2112-2004年)。次の5人の王が即位し、108年間を統治しました。首都はウル。
ウルナンム(在位:前2112前-2095年)
シュルギ(在位:前2094-前2047年)
アマルシン(在位:前2046-前2038年)
シュ・シン(在位:前2037-前2029年)
イッビ・シン(在位:前2028-前2004年)
このウル第3王朝時代の楔形文字粘土板文書は、特にプズリシュ・ダガン(現在のドレヘム)で大量に見つかっています。各地から運ばれてきた奉納用家畜を集積するための施設がここに建設されたためです。

粘土板文書には何が書かれているの?

ウル第3王朝時代の粘土板文書は、家畜や穀物の管理を記録するために作成されました。①品物の種類と数、②引渡人と受取人、③日付の3つの項目が書かれている文書が多く、現代の領収書のようなものです。

どのように書いていたの?

湿った粘土を使います。左手に3~5センチの長方形の粘土板を持ち、右手で葦の先端を削った筆を押し当てて文字を書きます。左から右に書いていき、一行書き終わるたびに、罫線を引きます。表の面が書き終わると、ひっくり返して裏面に、そして、側面に書いていきました。乾燥させると、粘土板はかなり硬くなり、長く保管できました。

間違えたらどうするの?

素材は粘土ですので、間違えた部分を削り取ってその上から字を書くことができました。

なぜ粘土を使ったの?

古代エジプトでは、文字はパピルス(紙)に書いたり、石に刻んだりしましたが、メソポタミアでは、粘土を用いました。それは、ティグリス川とユーフラテス川の2本の川が流れこむメソポタミアの南部が沖積平野であるため、粘土を入手しやすかったからです。川辺には筆として使った葦も生えていたことでしょう。

参考文献

Gomi, Tohru, Yoko Hirose, and Kazutaka Hirose. Neo-Sumerian administrative texts of the Hirose Collection. Potomac, Md., 1990.
日本オリエント学会編『古代オリエント事典』岩波書店 2004年  
ビエンコウスキ、ミラード(池田裕、山田重郎監訳)『図説古代オリエント事典 大英博物館版』 東洋書林 2004年
クリストファー・ウォーカー(大城光正訳)『楔形文字(大英博物館双書 失われた文字を読む1)』學藝書林 1995年
池田潤『楔形文字を書いてみよう読んでみよう-古代メソポタミアへの招待-』白水社 2006年
中田一郎『メソポタミア文明入門』岩波書店 2007年
鶴岡宜規「収蔵するウル第三王朝時代の家畜管理文書」『横浜ユーラシア文化館紀要第1号』2013年
『西アジアに迫る』横浜ユーラシア文化館 2009年